数学大好き宣言!

勉強メモ。おもしろいことを探していきたい。

数学の大衆娯楽化構想メモ。

箇条書き。

・世の中には、小さい頃から数で遊ぶのが大好きだったり、学生時代突如数学にどっぷりハマりだして数学者に、みたいな人がいる。数学は本当は、人を強烈に惹きつける魅力があるはず。それは素朴な、探検発見の興奮だと思う。

・気付いた法則性やこうじゃないかという予測は、証明するのは難しいけれども、たくさんの具体例を計算して確かめることはできる。

・数学は、厄介なところをうまく避ければ、大衆化出来ると思っている。

トポロジーなど好例。あれは直感的に語ることができる。ホモトピーとか被覆とか。(4次元に埋め込んだ3次元とかを考えなければ。)数学の人じゃない人が見たら、集合論で定義することや厳密に考えることその他に”縛られている”という印象を受けてもおかしくない。

・数学は気付くよろこびにあふれていて、証明などのいくつかの構成要素をとりのぞいても、まだ面白さは残るだろう。

・証明や厳密さの価値を否定するなどありえない。根幹をなすものだ。実際に、それらのおかげで数学は大きく、自由になったとは思っている。

・しかし科学としてでなく娯楽として数学をするとき、それを避けてもなおたのしい。

・イメージするのは、スキルや知識が少なくても、気になる問題で、例をいっぱい作って観察して、予想を立ててくかんじ。法則性=隠された構造に気付いていくのはワクワクするものだろう。

・もちろん”理由を考える”作業も楽しい!そのような思索を楽しむこともイメージしている。しかし、テストもなく論文も書かなくて良いならば、証明に挫折して立ち止まる必要がなくなる。

・証明しなければ、という気持ちと証明したい、理由が知りたいって気持ちは違う。実際、数学やっててわざわざ「○○ 証明」とかって調べたりするのは、後者の気持ちがあるからだ。そうでないなら、その感情は好奇心ではなく真面目さだ。(少なくとも自分の場合は)。

・証明と納得は違う。解析の長い証明など、1から追っても「なんかすごい変形」って印象しか残らない日も。それは自分のレベルが低いのだけれども、低かろうが高かろうが関係なくて、1つこの体験から言える事実は”定理の証明を追えることと定理を納得できることとは異なる”ということだ。これはもう事実だ。

・後者を達成できたとしたら楽しいし感動するということ。

・素朴、素朴。数学そのものには高級な理論が沢山ありハイレベルだけれども、数学による喜びは純粋で素朴なものなのではないか。どうなのか気になるとか分かって嬉しいとか、現象や法則を不思議に思ったりとか。もちろん、類似を駆使したり、こうに違いないという構想や理念を元に動いたりという別の側面もあるだろうけど。

・何か勉強したり教わるとき、やはり自分で計算したり考えたりできるようにしないと面白み半減だと思う。じゃあこの場合どうなるんだろうとかの自由な構想を、実際に自分でいじれるのが数学の楽しさだと思っている。自分はそうやって数学にハマったのでそう思う。

具体的にどういうものが考えられるだろうか。

・数列とかを何桁も計算したり平均とったりというのが簡単には思い浮かぶ。素数の個数関数など。logっぽいなーの観察など。

・それはそれで面白いんだけれど、やっぱり解析で終わっちゃうというか。もっと他の性質を、簡単に調べる方法はないのか。つまり、見方というのは自力で考えるしかなくて、広く楽しめる見方というのは無いのか?→簡単には、整数列なら、割った余りを観察とかが思いつく。

・扱う数の集合を変えるというのは素朴におもしろいね。たとえば二次曲線は、整数解を観察すると全く様相が変わる。多項式解を見つける話はなかなかおもしろい。曲線は次数を上げれば有理数の解については減るが、他の体ではどうかなども興味深い。とくに有限体はたのしい。

・有限体でやってみるという考え方はありだなあ。たとえば分割数はたくさんのおもしろい合同式の公式があるし。

・ℤのアフィンスキームくらいなら、概念の飲み込みさえはやければ、中学生にも解説できるね。それでいて類似がおもしろい。いいねー。ヘンゼルの補題とかに話を進めていけるし。

いろいろ構想がでてきて面白い。