数学大好き宣言!

勉強メモ。おもしろいことを探していきたい。

数学勉強の楽しいやり方

数学を勉強したり何かテーマを考えているとき、すごく調子がよくて楽しいなあというときもあれば、行き詰まって苦しいときもある。この違いは何だろう。

1つ経験から言えることとして、これは目標やモチベーションによって変わるようだ。

例えば、今、場の量子論を勉強したい!と思って勉強を始めたとする。そうすると解析力学を勉強するのは必須だ。このとき恐らく人は解析力学の勉強を「つまらない、きつい」と感じる。「こんな勉強がしたいんじゃない、もっとフォトンがどうとかクォークの予言とかの理論が知りたかったんだ」、というふうに。

より小さいスケールでもこういうことは起こりうる。たとえば「○○の証明」なんて題名のpdfを手に入れて読んでみたら、補題補題の連続で、最後に「準備が整った」なんて言って本証明は「補題より」ばっかりですごく短い、といったことはよくある。(今思うと、代数学の基本定理の、リウヴィルの定理での証明はそうだ!!)このとき、補題の証明を読むのはつらい。興味の対象外だから。(近いとはいえ・・・)この場合大抵の補題は元の問題とのつながりが感じられないということもつらさを増大させている。だいたい一般論。

一方で、誰かに薦められてとか、テキトーな原因で解析力学でも何でもいいけどを勉強しだすと、大抵は楽しい。数学の理論は本当によくできているから、その勉強は通常、楽しいものだ。本当は楽しく、素晴らしく、美しいのに、心のもちようではつまらなく感じてしまうということ。

結局、上のレベルを目標にしてしまうから、目標との乖離でつらいってことなんだろう。

(脱線:学校の勉強の話にも似ている。「○○になりたい」→「それには数学や英語は必要だね、さあ勉強しよう」これで勉強したくなる人がどれだけいるのだろう。夢見ている職業と現在の勉強など、たいへん離れている(少なくとも夢見ているひとのイメージの中では)。もちろん、数学→数学者、とか、英語→英検とるのが目標、などの場合は例外。)

こうして見ると、目標を立てるというのは、つらさを伴うのだなあと思う(立てるのはいいことなのかもしれないけど)。勉強でも、いずれこんなことを理解したい!こんなことができるようになりたい!と考えると、そのために必要なものと現在の自分の差にとても苦しくなる。(目標立ててるその時は楽しいんだけど!!)

目標のための現在の勉強というのではなく、現在の勉強がなかなか楽しいというようであるのが理想ということだろうなあ。この目標が、「○○の定理の証明」とかのごく小さいものでも、楽しさは失われるということだ。

ゲーテもそんなようなことを言ってたなあ。目標のため生きている人は死んでいるとかなんとか。またゲーテとの対話読もうかなあ。

目標のための現在、というやり方、学習効果的にもよくなさそう。いまやってることに興味とか無くなると、大事なものを見落とすようになるというか。「重要でない」「もっと先へ」と考えると注意力は当然落ちちゃう、それでダメになっちゃうかなあ。